『BELL』はこれまで「日常の中にある普遍的なもの」に惹かれ写真に託してきた古賀絵里子が、平安時代に成立した伝説「安珍清姫物語」とその後日談に着想を得て、制作したシリーズです。日本で最もよく知られる伝説のひとつであるこの物語は、古賀が現在生活する空間と関わりをもち、そのことが契機のひとつとなりました。 「安珍清姫物語」は、僧侶・安珍と 若い女性・清姫の激しくも哀しい恋の物語。安珍に恋をした清姫が裏切られ、逃げる安珍を追いかけるうちに、怒りで蛇身となりました。 道成寺の鐘の中に匿われた安珍を見つけた蛇は、鐘に巻きつき 炎を吐いて、鐘もろとも焼き尽くします。その両眼からは血の涙を流し、ついには入水したのでした。 その後、住職に供養された二人は成仏し、 天人になったと伝えられています。 この物語は、能楽や人形浄瑠璃、歌舞伎や日舞などの伝統芸能にとどまらず、絵画や小説、舞台や映画などにも登場し、千年以上もの間、受容と表現の幅を広げながら観るものを魅了し続けてきました。 そしてこの伝説ゆかりの鐘は、いま古賀が暮らす京都の寺にあります。 『BELL』は、「安珍清姫物語」において女性が負わされた悲しみや秘められた強さを、現代を生きる私たちの中に掘り下げながら撮影されました。やがて「誰もが安珍であり、誰もが清姫である」という視点から、性別を超えた人の情動や移ろい、社会との摩擦を掬いとっていきます。 執心と怒りに燃えて安珍を追いかけるうちに「般若」となり、さらには「真蛇」となった清姫の姿は、日常生活を営むなかで口に出せない悲しみや苦しみ、怒りを抱えている人の姿と重なり、八百屋や商店街、河原などの日常が舞台として現れます。 本作で、古賀は初めて演出的な設定や、ストロボや赤外線カメラを用いた撮影など自在に手法を広げ、幾つもの時空間、幾つもの心を行き来するようにして構成を編み上げていきました。 そして創作と生活の狭間で、作品を生み出す葛藤を初めて経験することにもなった古賀は、その葛藤が自分や他者により深く向き合うための扉となり、これまであまり描いてこなかった「性」や、記憶に埋もれていた過去の自分とも向き合うことを果たしたのです。 伝説に身をもって分け入り、目のまえの家族や生活を見つめることによって生まれた『BELL』。 伝説の鐘は、新たな予兆や祝福の響きとしても捉えられることになりました。 「誰もが安珍であり、誰もが清姫である」—人間の業そのものの肯定とともに、古賀が、解き放たれた自由な生き方を希求し、足元に芽吹く新たな可能性を見出した作品です。
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