競走馬の牧場に勤務していたが、競走馬という馬は乗用馬という馬とは違うと思い始めて仕事を変わろうとし始めたところへ、乗馬クラブを始めるから面倒を見てくれないか、という話が転がり込んできた。まだ谷間しかない山の中だけど埋め立てて馬場と厩舎、それに住宅もつくることにしたがその管理をする人物を探していたところだったのだというのである。まさに啐啄(そったく)同時であった。茨城県から兵庫県和田山町に引っ越した。 何も無いところから厩舎(きゅうしゃ)(馬小屋)をつくり、アメリカから輸入した乗用専用馬を入れ、谷を埋めて馬場をつくり、山を削って野外騎乗コースをつくり、クラブハウスを建て、馬場に屋根を付けるなど、次から次へと我が乗馬クラブは姿を変えていった。それは創造の楽しさを満喫できる年月であった。 が、しかし当然の事ながら楽しい事ばかりではない。飲み水の確保からしなければならない環境なのだから。飲み水は人間だけでなく何頭もの馬のための大量の水の絶え間ない確保が必要だが、最初の経営主の考えは山から流れてくる谷水を飲料水にするというものであった。が、谷水はそのままでは飲めないし季節や天候に左右されることから別の水源確保を試行錯誤した。 飲み水の問題だけではない。排水や山からの汚濁水の処理には苦労を重ねた。この山の中に住んで6年間、終始、水との闘いであったことは忘れられない。 乗馬クラブの立地環境として孤立した山の中であったことは見方によっては理想的であった。が、そのことは同時に、逆に見れば最悪でもあった。お客さんは車でなければ来ることができない。急な坂を登ったところだから自転車では来られない。街から遠すぎる。冬は雪深く車でも難しい。 そういうことからお客さんは増えなかった。経営的には完全に赤字続きであった。当時、乗馬クラブで利益が出るなどということは経営者も想定しておらず、赤字は経営者の個人資産で補填されていたようだ。 特殊な環境下であったこともあって、乗馬クラブの責任者としての日常は、馬の世話や調教、乗馬の指導という本来の業務の他に、前述の水の対策以外にも数限りなくさまざまな事があった。それらのいくつかは業務日誌に書き留めてある。そしてその中からこうして文章にしたものを集めてみたら2冊分になった。「その2」では阪神淡路大震災のあおりを受けて乗馬クラブを閉鎖する顛末(てんまつ)を含めてまとめている。
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