日本で不良債権の本格的な処理が始まったのは一九九八年春のことである。アメリカの大手不動産投資会社セキュアード・キャピタルが簿価一兆円余りの担保不動産つき不良債権を邦銀から購入して、それは始まった。以来、ゴールドマンサックスなどの外資系投資銀行や、さまざまな外資系ファンドが不良債権ビジネスに雪崩を打って参入し、彼らは金融機関、ホテル、ゴルフ場、そして不良債権にあえぐ企業を買いあさった。 そしてプライベート・エクイティ・ファンド(未公開企業投資)のリップルウッドが旧長銀買収の優先交渉権を得たのが九九年九月だった。日本の一流企業に設備投資資金を提供し、戦後の経済成長を支えた名門銀行までが外資に捨て値でたたき売られるのか、と衝撃が走った。ハゲタカ外資に日本がむしり取られている、と悲憤慷慨の声が湧きあがった。 しかしそんな感情論をよそに、資本の論理に従って整理される企業は整理され、再生可能なものは再生していった。二〇〇四年には、潰すには大きすぎると言われたダイエーが、ついに再建支援していた産業再生機構から、丸紅とファンドのアドバンテッジ・パートナーズに売却される。さらに二〇〇五年には最後の巨大案件といわれたカネボウが、やはり産業再生機構から花王と三つのファンド連合に売却された。三つのファンドというのは、先のアドバンテッジ・パートナーズとユニゾン・キャピタルとMKSパートナーズである。 この三つのファンドは、一般にはそれほど知られていないが、実は日本人が組成した日本のプライベート・エクイティ・ファンドである。それも、野村證券や三菱商事といった巨大な資本をバックにしたものではない。いずれも組織から独立し、九〇年代末に創設者自ら資金集めに奔走して、最初は数億円規模の投資案件から始めたファンドである。 その三つのファンドが五、六年で、カーライル、サーベラス、ローン・スター、リップルウッド、といった名だたるファンドやゴールドマンサックス、モルガン・スタンレーといった投資銀行を向こうに回し、数千億円単位の案件で競り勝つまでに成長した。不良債権処理の担い手は、いつの間にか日本のファンドに移っていたのだ。 約一〇年の間に日本の企業社会は構造的に転換し、今もその動きを継続していると思われる。マスコミを騒がせたライブドアや村上ファンドもその転換の先触れに過ぎないだろう。今や日本を代表するファンドとなったアドバンテッジ・パートナーズ、ユニゾン・キャピタル、MKSパートナーズ。この三つのファンドは、もう少し深いところで、その転換の歯車を回した。それぞれのファンドは、いったいどんな人物が設立し、なぜ外資と互角に戦うまでに急成長できたのか。その設立から今日までを追うことで、構造転換の実相を探った。
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