山岳小説に新境地を拓いた、著者の初期短編集 50貫(約187キロ)もの巨石を背負って白馬岳山頂に挑む山男を描いた処女作「強力(ごうりき)伝」(直木賞受賞)。富士山頂観測所の建設に生涯を捧げた一技師の物語「凍傷」。太平洋上の離島で孤独に耐えながら気象観測に励む人びとを描く「孤島」。明治35年1月、青森歩兵第五連隊の210名の兵が遭難した悲劇的雪中行軍を描く「八甲田山」。ほかに「おとし穴」「山犬物語」など全6編。 “山"を知り“雪"を“風"を知っている著者の傑作短編集。 目次 強力伝八甲田山凍傷おとし穴山犬物語孤島解説 小松伸六 本書収録「八甲田山」より 八甲田山に月が懸っていた。 月の光りは疎林の影を長く雪の上に引いて、沢から吹き上げてくる風が、時々飛雪のベールを作って、視界をさえ切っても、隊伍を崩すまいと、必死に歩いてくる兵隊達の顔が、どうやら判別できるほどの明るさだった。 今成大尉は部隊に小休止を命じて、地図を開いてマッチをすった。歩いて来た道から判断して、地点は馬立場であることは疑いなかった。 本書「解説」より 「強力伝」は前述したように昭和三十年第三十四回の直木賞をうけた。当時の選評では、「文章はゴツイが、作品の印象は鮮明」(永井龍男)、「文学青年やつれのない作品、謙虚だが素直に書けている」(井伏鱒二)、「特殊な世界の物語だが、授賞対象の意識を忘れて感心した」(川口松太郎)といった批評がみえる。たしかに新田氏の文章は、具象的、直截的でムダがなく、文学青年じみた汚れがみえず、人間が生きているのである。 ――小松伸六(文芸評論家) 新田次郎(1912-1980) 1912(明治45)年、長野県上諏訪生れ。無線電信講習所(現在の電気通信大学)を卒業後、中央気象台に就職し、富士山測候所勤務等を経験する。1956(昭和31)年『強力伝』で直木賞を受賞。『縦走路』『孤高の人』『八甲田山死の彷徨』など山岳小説の分野を拓く。次いで歴史小説にも力を注ぎ、1974年『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受ける。1980年、心筋梗塞で急逝。没後、その遺志により新田次郎文学賞が設けられた。実際の出来事を下敷きに、我欲・偏執等人間の本質を深く掘り下げたドラマチックな作風で時代を超えて読み継がれている。
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