昭和三十年(一九五五)という年は、今振り返れば歌舞伎にとって一つの大きな節目の年であった。その前年昭和二十九年(一九五四)九月に、初代吉右衛門、阪東壽三郎の東西二人の座頭を失った歌舞伎は、翌三十年にはたちまち大きな試練を迎えた。まず大阪で富十郎(当時鶴之助)の脱退から、扇雀の宝塚映画との専属契約、鴈治郎の大映入りという事件が起き、東京では長谷川一夫を中心に、勘三郎、歌右衛門、それに扇雀を加えて新しい「東宝歌舞伎」が生まれた。この東宝の攻勢に対して松竹は新しい我童襲名で対抗した。数年後にその東宝へ入社して「東宝歌舞伎」の制作にも自分が携わるとは夢にも思わなかった私は、「東宝歌舞伎」を見にも行かなかった。…(巻末「終わりに」より)目 次初春の歌舞伎座—二時間余りの「助六」春芝居らしさ三月の明治座四月興行歌舞伎座「御所桜堀川夜討」補遺「西郷と豚姫」とおどり二題「鮓屋」明治座昼の部明治座夜の部菊五郎の遺産歌舞伎座夜の部「寺子屋」について前進座の「太十」を見る水増し芝居「引窓」について—鴈治郎の大坂型と海老蔵の所演と歌舞伎座夜の部—「武州公秘話」中心に「宵宮雨」に対する疑問「京鹿子娘道成寺」—歌舞伎座の梅幸と演舞場の歌右衛門の競演文楽三和会一の替り—若太夫綱造の「志度寺」住太夫の「油屋」宇野信夫の「隠亡堀」を読んで新我童の存在「義経千本桜」—「四の切」の狐忠信覚書東横ホールの菊五郎劇団の若手たち「醉菩提悟道野晒(野晒悟助)」ラジオラジオの海老蔵の貢「山の段」失望—新橋演舞場初日「妹背山」の「山の段」「妹背山婦女庭訓」—三段目切り「山の段」粒ぞろいの昼の部吉右衛門の追善—九月歌舞伎座昼の部吉右衛門を偲ぶ「摂州合邦辻」—時蔵、猿之助による所演「夏祭浪花鑑」—幸四郎の団七と吉之丞の義平次を中心に羽左衛門の襲名—役者の使い方羽左衛門襲名かさね讃「色彩間刈豆」—かさねの略型「切られ与三」について「土蜘」について「末摘花」と「山門」幸四郎の健闘と三津五郎の芸についての走り書き観世華雪の「夕顔」文楽座総引越し興行お目見得昼の部—文楽の「曽根崎」三味線弾きの名人—お目見得夜の部雑記文楽二の替わり夜の部—山城の「賀の祝」御名残り狂言夜の部—「長町女腹切」の復興山城の女腹切と文五郎の八重垣姫若太夫、綱造の「すしや」ラジオ山城少掾と文五郎の「太功記十冊目」—因会御名残り公演山城の「太十」文五郎の操—最後の輝きかも知れない二人の芸の素晴らしさ「長局」と「御所三」と「帯屋」と文学座の「ハムレット」 新派のラジオ「相続人は誰か」舞台劇「花火の街」舞台中継 大阪歌舞伎座の新派公演「めの惣」新国劇「接収地」「総穏寺の仇撃」新人会の「戸口の外で」ぶどうの会の「ベルナルダ・アルバの家」 喜多村の「日本橋」「円朝祭」第八十三回「円朝祭」 落語研究会三越名人会終わりに(以上425ページ)
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