江戸は両国橋近く、無縁仏の弔いで有名な回向院の前に「へんろ宿」はあった。 三百五十石の小身とはいえ旗本の跡取りだった笹岡一之進。故あって家名断絶の憂き目に遭い、両親と死別した。浪々の身で剣の回国修業に出たものの、剣の技量は上がっても、晴れぬ心に気付く。 京で一弦琴を奏でる女佐和と出会い、惹かれ合うも、一之進は意を決し、ひとり四国八十八カ所遍路に出る。四国遍路の道々、へんろ宿で人の情けに触れ、一之進は剣を捨てる決心をした。 遍路を終えて、京で佐和に思いを告げ、名を市兵衛と改め、二人で江戸に出て、回向院前で「へんろ宿」を営み始めた。 お金に困った旅人に格安な宿を、心配事があって心晴れぬ出府者に寄り添って、質素ながら心づくしのもてなしを……、ふたりの小さな宿は、安い宿賃では繁盛しても儲からない。佐和は金持ちの商家の娘たちに一弦琴の手ほどきをし、その稽古代で家計を補っている。 そんなこんなで「へんろ宿」にはわけありの旅人がやってくる。 苦しげな咳を繰り返す浪人者が十日ほどの投宿を希望した。有り金全部で百文しかない。病軀を押して浪人が江戸にやってきた理由とは……。そしてその最後の願いは叶えられるのか。(表題作「へんろ宿」) 思い詰めた様子の、武家の娘は箱根の関所を迂回して命からがら江戸にたどり着いたという。訊けば江戸勤めの父の消息が断たれ、国許の長男(弟)も逼塞を命じられた。娘は江戸藩邸の父親の様子を調べに来たという。(「名残の雪」) 甲州石和から出てきた娘おたまは、毎日思い詰めた表情で両国稲荷に出かけていく。ただそこに、一年後ここでと誓い合った畳職人の長次郎の姿はなかった。(「蟬の時雨」) 見事な桜の絵を描く実直な紙商人宗二郎。江戸には人捜しに来たという。しかし、事件に遭い、物言わぬ遺体となってしまった宗二郎を市兵衛が確認した折、町奉行所同心坂本数馬は「ことの一部始終を見ていた夜鷹がいる」とささやいた。(「通り雨」) 藤原ワールド満開、人の情けに涙がにじむ、心震わせる傑作人情時代小説四編。
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