富士山には登山ルートが四つある。どれも魅力的なルートなのだから、一つを選ぶのではなく、それらを一度に通ってしまうことができないか。何かの拍子に、そう思いついてしまった。しかし、実際にそんなことができるのだろうか。挑戦は二連敗となった。八月だというのに大粒のヒョウに降られ、ひどい高山病で動けなくなった。富士山は、そうたやすく四往復をさせてはくれなかった。そして、三度目の挑戦。僕はスタート地点とした御殿場口五合目のパーキングに車をとめた。シューズのひもを二重に縛り、腿に張り手を打つと、山頂を見上げた。ボロボロになりながらでも、四往復を達成してここへ戻ってこられたなら、どんなに痛快だろう。僕は山の高みに一瞥を投げ、帽子をかぶりなおすと、富士の黒い砂礫を踏み始めた。高度を上げるごとに植物のフォルムは小さくなり、やがてそれらも姿を消す。山頂へ近づけば、鉱物の支配する荒々しい世界になってくる。風が吹いても揺れる植物がないため、世界に動きがない。そんな中で、雲は自在に形を変える。山の斜面から生まれた雲が、湧き上がり、漂い、強烈なスピードで吹き上がる。大きなものに圧倒されるということは、同時に自分の小ささを思い知らされるということでもある。自分は小さいのだ。もっと気楽でよいのだと思えて、それまでよりも目線を上げて歩けるようになる。だから僕は、山を見上げるのだと思う。厚い雲に囲まれ、雨が降り始めた。視界はホワイトアウト。靴も下着も濡れてしまった。やがて、僕のとなりに疲労が姿を現す。しかし、疲労を感じることは、そこに自分の限界があるという訳では決してない。しばらく一緒に付き合えば、疲労はどこかへ行ってしまう。疲労がやってきたら、「そうか、そうか」と話を聴いて、歌でも歌ってあげるか、シェリー酒によく合うピクルスのうまい店を紹介してやればよいのだ。夜がやってくる。夜の森や山を一人で走っていると、視覚以外の五感が研ぎ澄まされてくるのが良く分かる。視界が制限されるため、それを補うように、普段は気にしていないような木のきしむ音や、自分の呼吸の音が良く聞こえてくるのだ。肌の触覚も鋭くなる。毛穴や産毛がレーダーのように周囲の変化を伝えてくれる。やがて雲が流れ、見上げると、強烈な星空があった。こんなにも星はたくさんあったのかと思えてくる。星はキラキラではなく、ギラギラと光っている。カメが甲羅に頭を引っ込めるように、体が縮み込みそうな思いがした。スーーーッと線を引いて星が流れた。流れ星とは運がよいと思っていると、また別の星が流れた。そして、また別の星が流れた。体に疲労が積み上がる。思考が浅くなってくる。路肩の石に人の顔が現れたような幻覚が見えて、飛び上がりそうになる。不吉な深夜の下山道。森の中から無数の光がこちらを見ていて、僕はまた飛び上がりそうになる。ひどい高山病にかかってしまった。足が地面に着地するたびに頭が痛む。胃腸がやられて、固形物が喉を通らない。僕は、朝がやってくるのをじっと待つことにする。朝になれば、日の光によって体の力を引きだすことができるだろう。そう、窮地のときには楽しいことを思いだそう。ニヤリと笑ってしまうような、そんな、これまでの楽しかった、色んなことを。山頂を見上げる。富士の圧倒的な大きさに、僕は疲労と一緒になって笑っていまいそうだった。
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