序言 血統による正統と権威が絶対視された時代 前著『小説日本書紀42継体 継体にアマノヒボコ族の息吹』では、継体を支援した勢力は、和珥氏や息長氏で、その背後に彦坐王国の影が広がっていることを明らかにしたのじゃ。彦坐王はアマノヒボコ(天日槍)と同人(神)格とされるから、継体の支援勢力はアマノヒボコの後裔氏族でもあるということにもなるのじゃ。 ところが、『日本書紀』は彦坐王国の伝承を黙殺していると指摘されるのじゃが、アマノヒボコも軽視されていると指摘されているのじゃ。それは、百済系大和王朝が樹立される以前に、アマノヒボコ族を中心とする新羅系山陰王朝が存在していたということであり、万世一系の視点からすれば、新羅系山陰王朝が存在していては、百済系大和王朝にとっては、都合が悪いということから、彦坐王国やアマノヒボコ族のことが、黙殺あるいは軽視されたと考えられるのじゃ。 が、『古事記』はそうではなく、彦坐王の系譜を詳述しているのじゃ。そうしたことを、この『小説日本書紀』シリーズで一貫して主張してきているのじゃ。つまり、4世紀における倭地は、彦坐王国や丹波道主王国など新羅系山陰王朝が先行し、その先行勢力が南山城や北大和に進出し、初期の大和王朝、つまり新羅系山陰王朝を樹立していたのじゃ。それはアマノヒボコ(天日槍)王朝と言い換えてもよいのじゃ。 明治時代の曲学阿世の輩らは、任那を日本の属領と主張しているのじゃが、本末転倒も甚だしく、まさに悪意の論述というものじゃ.倭=沸流百済という当時の状況からみれば、任那の彊域は、かつての沸流百済の領域であった地域じゃ。そうしたことも前著で明らかにしたのじゃ。 また、加羅という表記は、対馬にあった加羅を意味する場合が多々あると考証され、対馬には新羅・百済・高句麗の各邑落国があったとされ、佐護加羅は新羅、仁位加羅は高句麗、鶏知加羅は百済にそれぞれ属していたというのじゃ。 さらに、仏教公伝は、第30代欽明の時だとされているのじゃが、すでに第27代継体朝の16年(522)に百済から司馬達等が渡来して、大和国高市郡坂田原に草堂をいとなみ、仏像を安置して礼拝帰依したのが日本における仏教私伝の初まりとされていることも明らかにしたのじゃ。 応神以降続いた王統は、武烈を最後に血筋が途絶えたと見られているのじゃが、後継者である第27代継体は、『記・紀』によれば、応神の5世孫とされるのじゃ。血統による正統と権威が絶対視された時代にあって、本当に武烈を最後に血筋が途絶えたのだろうか、を今一度、考えていきたいのじゃ。。 今回の『安閑は即位する前に殺されていた』では、本当に応神王統が途絶えたのか、を考究していき、また仏教公伝の真実を追い求めていくことで、当時の真実の歴史を見定めたいと願っているのじゃ。 なお、底本は、宇治谷猛現代訳『日本書紀』じゃ。漢数字は引用文を除いてアラビア数字にしたので了承願いたいのじゃ。〔追〕尊称の尊・命・神などは引用文などやむを得ない場合を除いては省略し、天皇は大王に、皇子は王子に、皇后は正妃に、媛や皇女は姫に、それぞれ表記しているので了承願いたいのじゃ。 2020年12月 ハンデウン通説化した〝韓隠し〟の歴史を復原する新視点の真実の古代史小説日本書紀43安閑 安閑は即位する前に殺されていた目次序言 血統による正統と権威が絶対視された時代〈安閑紀〉 大略『古事記〈安閑記〉』 大略〈継体紀〉に記されてる安閑の記事屯倉のことを司った難波吉士安閑は和珥氏族の一員春日和珥臣の勢力が強大であった布都久留は物部氏全氏族の象徴的な祖霊物部宗家としての石上朝臣家物部家の家運を興隆したとされる物部尾輿良田の献上を惜しんだ大河内直味張三島県主と深い関係にある三島溝杙耳=味耜高彦根上毛野君の毛野国は東国における独立国新羅(加羅)系勢力の武蔵国笠原直使主も新羅(加羅)系の頭領正妃の寝殿に逃げ隠れた伊甚(夷隅)国造安閑朝に諸国に屯倉を置く大己貴はその地の国魂のこと新羅系王朝を簒奪し改竄して〝幻の大和朝廷〟を創出応神の大隅宮があった地は乳牛の放牧地剣・矛を神として祭るのは新羅(加羅)系渡来人集団の習俗古市古墳群に安閑陵とされる高屋丘陵安閑陵から日本最古のカットグラスの玉碗が出土安閑は殺されて即位していない『日本書紀』は昆支王と継体が同一人物であることを隠蔽新羅系山陰王朝勢力は欽明朝に対抗して安閑朝を樹立欽明を即位させた〝辛亥の変〟の主導者は蘇我氏安閑と欽明の両朝が対立したという説ワカタケル(獲加多支鹵)は雄略ではなく欽明という説武蔵国造は出雲臣と同族『日本書紀』は仏教公伝の真実を隠蔽した安閑朝を支持した勢力は大伴氏安閑朝での許勢男人の大臣就任が隠蔽された高句麗大王の安蔵王が安閑に転身という説も経津主は沸流百済を表象する人(神)格結語 安閑朝は存在しなかった大伴氏は大連大伴金村の時に全盛時代 大伴氏は大連大伴金村の時に全盛時代を迎えたとされ、武烈朝では平群真烏・鮪(しび)父子を攻め滅ぼし、継体朝では物部麁麁火(荒甲)とともに筑紫国造磐井の反乱を鎮圧し、安閑朝では、正妃・妃のため各地に屯倉を設定したのじゃ。 宣化朝では新羅の任那侵攻に対して、子である磐や狭手彦らを派遣して任那を救援したのじゃが、欽明朝になって百済へ任那4県を割譲したという責任を物部尾輿らに問われて失脚し、摂津国住吉郡(大阪市住吉区帝塚山)の邸宅に籠ったとされるのじゃ。以後は、蘇我氏と物部氏の対立の時代になって、大伴氏は衰退期に入り、主に蘇我氏の勢力下にあって命脈を保ったということじゃ。 安閑元年冬10月15日、安閑は大連大伴金村に、「難波の屯倉と郡毎にいる钁丁を宅姫に賜りますよう。これをもって後世に示し昔を忘れさせないようにしましょう」と勅し、難波の屯倉と難波毎部の钁丁(よぼろ)を賜ったとあるのじゃ。その屯倉が何処であつたか明らかでないのじゃが、難波の一部落が皇室の御料地として特殊な関係をもつことになつたというのじゃ。 後に、その屯倉のことは難波吉士が司るようになったといい、難波吉士は三島郡吉志部に住んだ氏人であるから、その屯倉は隣接地である三島郡三宅村であったかもしれないとされているのじゃ。その三宅村は現在、茨木市と摂津市の一部になっているということじゃ。その頃に牛が大隅島と姫島松原とに放牧されたといい、その地には応神の離宮である大隅宮があったのじゃ。大阪市東淀川区大桐に大隅神社が鎮座するのじゃが、その地であるか否かは定かでないというのじゃ。 『新撰姓氏録』に、大戸首(おほへのおびと)は、阿閇朝臣と同じ祖で、大彦の子の比毛由比(紐結;ひもゆい)の後裔だとあり、安閑朝に、河内国日下大戸村(くさかのおほへのむら)に御宅(みやけ)を造り、首(おびと)として仕え、よって大戸首という姓を賜ったとあり、そのことは『日本書紀』に漏れていると記しているのじゃ。 河内国日下に大戸の村というのがあり、そこに大戸首というのが御宅をつくっていて、その大戸首は日下連と阿閉朝臣と同祖であるとしているのじゃ。であれば、大彦は阿倍氏の祖とされるから、河内の日下に阿倍氏の同族が住んでいたらしいということが推定できるというのじゃ。 大草香部吉士を名乗った難波吉士もそうみていいのじゃ。〈安康紀〉に大草香王子の妹を王妃に迎えようとした話があり、難波吉士日香蚊(ひかか)父子がその大草香王子に仕えていたのじゃ。その草香は河内の日下のことじゃ。難波吉士は雄略朝に大草香部となっており、河内の日下と難波吉士とは非常に関係が深いということがわかるのじゃ。 『枚岡市史』に収載の吉川・河澄両氏に伝わる『家伝略』に、先祖の木足という者が安閑朝に大戸村の御宅岡に石を立て水を引いて滝二つを造り献上したが、その水の流れや川の音は清涼で大王は気に入ったところから、大戸首の姓を賜り、音川という家号はその故事によるとあるのじゃ。安閑は和珥氏族の一員 和風諡号が広国押武金日(ひろくにおしたけかなひ)の安閑は、国押(くにおし)を含む諡号から、和珥氏族の一員であることを示唆するというのじゃ。継体の子に椀子王子があり三国君の祖とされているのじゃが、あるいは安閑と同人ではないかと見られているのじゃ。結語 安閑朝は存在しなかった 今回の『安閑は即位する前に殺されていた』では、〈継体紀〉に安閑が太子の時のことが記載されていることに、奇異の念が生じたのじゃ。まとめて、〈安閑紀〉に載せたらいいものをと感じたからじゃ。太子の妃の春日姫のことも同様で、かなり長文のロマンス記事が〈継体紀〉に、なぜ収載しているかの疑念じゃ。 そして、最大の疑念が、継体25年条に、継体は安閑を即位させ、その日に継体は死去したという記事があるのじゃが、実際は、継体没年が辛亥歳(531年)で、安閑即位年の甲寅歳(534年)であることから、その間に2年間の空白があることじゃ。その齟齬は一体、何を意味しているのか、ということじゃ。 安閑は、国押(くにおし)を含む諡号から、和珥氏族の一員であることを明らかにしたのじゃが、応神朝以後、和珥氏族の女人が大王の后妃となることが多かったと指摘されているのじゃ。
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