聖天供では電熱コンロを使い、本堂は蛍光灯で煌々と照らされ、説法にマイクを用う。これが現代の密教の在り方である。一方で未だに紙の次第でなければならないという考えがある。密教の目的は三密加持による本尊との入我々入を得て即身成仏することにあり紙の次第に執着することが目的ではない。本堂で目が見えぬからと背中を丸めて次第を読むのであれば拡大ができる電子書籍を用いれば良い。端身正立と説かれるほど修法中の姿勢は大切である。次第を紛失してはならないからと旅先に次第を持参せず日夜の修法を怠るくらいならば電子書籍として持参し修法を怠らぬ方が良いのは言うまでもない。電子書籍の次第が許されない理由などなく、また電子書籍がいけないという考えに執着することを密教では捨てねばならぬ。密教において大切なことは何よりも修法であるのだから、いつでも三昧に入れる電子書籍の次第を用いない手はない。本書は会員の求めに応じて中院流に伝わる三十三尊法を師伝を元に編纂したものである。第七巻は千手観音を本尊とした千手法である。日本では主に千手観音と親しまれているが正式な名を「千手千眼観自在菩薩」という。千本の手は衆生のあらゆる悩みに対応した方便を有することを表わす。その一本一本の手には一人一人の悩みを見抜き、いつまでも見守り続ける眼を有する。人は金銭では幸せになれないというが金銭で苦しむのもまた人である。金銭で苦しむ人に心を清めるべしと伝えたところで救われはしない。したがって金銭を先に施してやり、それから法を説くのが道理である。 溺れている人に法を説いても、法を聞くどころではない。したがって浮き輪など身を休める場所を先に与えねばならない。まず差し当たっての苦しみを和らげてやらねば苦しむ人は話を聞けない。人の苦しみを先に抜いてやるという大悲の働きを最大限まで高めたのが千手観音である。日本の仏像や仏画では40本の手しか画かれていないが物理的な問題もあってのこと。教義的には三界六道を二十五有という存在の在り方に分け、それに40本の手を乗算すれば1000となる。すなわち上は悲想非非想天の神々、下は無間地獄の沙汰まで苦しみを抜く広大な功徳を有することを表す。まさに真言行者の起こすべき菩提心そのものを表すのが千手観音なのである。師伝により作法などが異なる場合があるが、そのような時は教えられたものに依られたい。本書が国家安穏、密教興隆、諸人快楽、諸願円満のための一助となることを願う。※売り上げの一部は各種慈善団体及び学術研究機関への寄付に充てさせて頂いております。
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